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店主あいさつ

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一捏込魂(いちねつにゅうこん)
​そば粉に水を加え練り上げる作業全体のことを「捏ね」といい、そばの出来を大きく左右する最も重要な工程です。その捏ね一回一回に魂を込める。そば職人として忘れてはならない思いを造語に込めました。
​書:山嵜颯華

そば食の文化は和食のなかでもひと際特異な進化を遂げてきました。外皮が硬く原料処理が難しかったそばは、かつては非常食的意味合いが強く、収穫されても食べることがほとんどない、といったような不遇とも言える時代がありました。いつしか時の流れと共に麺としての形が築かれ、その技術は洗練されていきました。同時期に華開いた出汁や日本酒の文化とともに、徐々に庶民食として浸透していていき今日に至ります。

そばが麺状で食されるようになってからおよそ500年。延々と紡がれてきた長い歴史の中でも、進化を遂げ変わってきたことがありました。しかし守ってきたこともありました。

古きを温(たず)ね、新しきを知る。「温故知新」を道理とするならば、
新しきを知ってこそ、古きを守っていくのもまた、我々職人が歴史を紡いでいくための道理ではないでしょうか。

日本が誇るこの素晴らしい食文化を、未来永劫続くよう後世に伝え遺したい。
歴史の一端の担い手として、お客様の心に響く一枚を提供したい。
そんな思いを持って、私はそばを打ち続けています。

 

店主 手塚晶之

​歴史

1954-1989

​昭和期

現店主の祖父・手塚才次と祖母・鶴子は戦火を逃れるため、激しい空襲の最中リヤカーを引いて一晩歩いて命からがら辿り着いたのが登戸だった。才次の本家があったもののそこには戻らず、今の登戸駅東側に居を構えることとなった。八百屋、芝居小屋など様々な業種を経て落ち着いたのがそば屋だった。昭和29年12月、屋号《生そば 更科》の創業である。しかし安定した経営は長くは続かなかった。創業からわずか2年後、急病により才児が他界してしまう。このとき代を受け継いだのが現店主の父・紀行、弱冠14歳の時だった。その後は家族経営で店を守り、激動の高度経済成長期を生き抜いた。

1989-2019

​平成期

平成に入り、現店主・晶之は2年制の調理師専門学校を卒業後、東京・荻窪の老舗店「本むら庵」で5年間の修行生活を送る。その後実家に戻り家業を手伝いながら徐々に手打ちそばを展開。平成23年3月、屋号を《手打ちそば更科》に改める。その後徐々に日本酒の販路を拡大していく。

2019-

令和期

令和2年1月、カウンタースタイルで日本酒に特化した《酒縁さらしな》を新装開店させるもコロナ禍の影響を受け、実質的に営業できたのは想定したよりも遥かに少ないものだった。令和5年4月、営業時間を拡大し、新たな地でお客様の舌と胃袋、心を満足させる取り組みを開始する。

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